なぜ特定の虫たちは、人間にとって消化不可能な紙という物質を好んで食べるのでしょうか。その答えは、彼らが持つ特殊な消化能力と、紙に含まれる「添加物」にあります。紙の主成分であるセルロースは、植物の細胞壁を作る非常に強固な多糖類ですが、シミなどの紙を食べる虫は、腸内にセルロースを分解する酵素、あるいはそれを助ける微生物を保有しています。しかし、彼らにとってセルロースはあくまで「主食」の一部に過ぎません。実は、紙を食べる虫がより効率的にエネルギーを摂取するために狙っているのは、紙の製造過程で加えられる「サイズ剤」や接着剤です。伝統的な和紙や古い書籍には、澱粉や膠といった天然由来の成分が豊富に使われており、これらは虫たちにとって極めて栄養価の高いタンパク質や炭水化物となります。また、近年の洋紙であっても、インクの滲みを防ぐための加工剤や、製本の過程で使われる合成糊が彼らの食欲をそそります。生物学的に見ると、シミは数億年前から姿を変えずに生き残ってきた「生きた化石」であり、その生存戦略は「他者が食べないものを食べて生き延びる」という点に特化しています。紙という乾燥した栄養の少ない環境で生きられる能力こそが、彼らの強みなのです。一方、チャタテムシの場合はさらに特殊で、彼らは紙そのものというより、紙の繊維の間に生えた目に見えないほど小さなカビを食べています。湿った紙はカビの温床になりやすく、チャタテムシはそのカビを刈り取るように食べる際、同時に紙の表面を削り取ってしまいます。つまり、チャタテムシの発生は、その環境がカビの繁殖を許すほど不衛生で高湿度であることを示す生物学的なバロメーターでもあるのです。これらの虫が紙を食べるという行為は、自然界においては「枯死した植物の分解」という重要な役割を担っていますが、人間の文化圏においては大切な記録を破壊する敵対的な行動となります。彼らの食性を理解することは、単に殺虫剤を撒くのではなく、彼らが欲する栄養源や環境を物理的に断つという、よりスマートな防除戦略を立てるための基礎となります。生き残るために進化してきた彼らの驚異的な能力を、私たちは清掃と乾燥という最もシンプルな知恵で封じ込める必要があるのです。